山口修源先生 有難う御座います

山口修源先生に教えを受けて30年、日々の感謝の憶いを綴ります

昔話 肆

山口修源先生と出会う前の話を少しだけ

「出口が見えない迷路」。そんな表現がふさわしい心の状態に私は陥っていました。その解決のヒントを見つけるため、心理学や精神分析学の入門書を手に取りました。家庭の医学などの基本的な文献から始め、しかし、「分裂病の手記」のような深いテーマには、自分がその条件に符合するのではないかという恐怖から逃げていました。

心理学の本に書かれている「合理化」に出会うと、「すっぱいぶどうだ、大丈夫だ」と自分に言い聞かせました。しかし、それでも「大丈夫」な状態には戻れませんでした。精神分析学の本によれば、「心の病気は潜在意識にある問題を表在化させると治る」。そうなのだと理解し、自分の不安感の原点を思い出し反芻しましたが、それが心の「しこり」を取り除くには至りませんでした。

母親との分離体験、基本的信頼感の欠如、父親との関係といった問題を細かくノートに書き出し、分析し、自覚したと思いました。しかしそれらが理由で心のバランスが崩れているとしても、実際に自分自身が変わる感触はありませんでした。

頭で考えるだけでは問題は解決しない。ブーツストラップをいくら引き上げても、身体はその場から浮かび上がることはなかったのです。自己流の自己分析を進めていくことは、海図や羅針盤のない航海と同じで、不安感に飲み込まれる「座礁」もあるのです。

その状態から這い上がるより、正気を失い、自己崩壊するほうが楽ではないかとすら思えてきました。しかし、それはやはり怖くてできませんでした。

今思えば、早く病院に行き、薬をもらったほうが解決は早かったかもしれません。でも母に心配をかけたくなかったので、そうすることはできませんでした。

先行きの見通しは全くありませんでしたが、生活(精神)が崩壊するまでには至らず、なんとか生きています。心の迷路を彷徨い続けながら、なんとか一歩一歩を進んでいくのです。