昔話 肆壱
山口修源先生と出会う前の話を少しだけ
朝5時頃起きて2時間ぐらい上野公園で気功をしてから出勤していた時期がありました。 その頃、集中してやったことが、今思い返すと良かったなあと思います。
清清しくも、どかんと身体に充実感がありました。 物事を習得するには、ある臨界点を越えて、一つの成果が出て、 一歩先に進む事ができる…みたいな事かなと理解しました。
臨界点を越えていないから結果が出ないなんてこともあると思い、 今でも習得事は、ある程度まで集中して取り組むようにしています。
ユニバースは、「人間改造講座:自観法、感謝行、イメージング」・「気功」がよく知られていました。 当時の私を知る人は「なんか気功ばっかりやっていましたね」という印象とのことでした。 気功三昧の日々でした。
昔話 参玖
山口修源先生と出会う前の話を少しだけ
今までが鈍感過ぎたのかもしれませんが…当時、私は神経質で鈍感(無神経)という厄介なタイプでした。 「性格が悪いから」と言われる所以です。
気の質を感じる練習で、皆の前で講師の方がデモをすることがありました。 その相手役(だれでも可)をさせて頂いた時、その講師の方から伝わってくる「気」をどう表現をしようもない程、爽やか、びっくりする程、爽やかに感じ思わず頬が緩んでしまう程でした。
傍で見ていると「何、にやにやしているんだ?」みたいだったでしょう。
昔話 参捌
山口修源先生と出会う前の話を少しだけ
診療中に患者さんが、顔色は変えず、ちょっと不快に感じられている等の状態の把握について、大学では「痛みの連合効果」として、表情の変化等注意深く観察し、患者さの不快感を認識するようにと教わりました。
今まで診療中に「いわゆるデンタルショック」を起こした患者さんはいません。迷走神経反射を起こすような、不快事項をがまんさせることが無かったからだと思います。
気功を始めて、感覚器官で捉える情報に先行して、なんとなく感じることが多くなりました。一つ置いた隣のチェアーの患者さんがおとなしく横になっているけども、 口をゆすぎたいのかなと起こすと、今、ゆすぎたかったのですと言われることもありますし、咳き込んでいて、もう大丈夫ですと言われても、まだでしょうと見ていると再び咳き込むこともあります。
昔話 参陸
山口修源先生と出会う前の話を少しだけ
当時、気功教室ではじめに習うのは「気感を得る」ということだったと思います。
気の球を作るやり方や、ペアでやる方法、皆でゲーム感覚でやるものなど様々でしたが、私は、立って行う「立功」・「丹田呼吸」が好きでした。
私が最初に手のひら等で気を感じるようになったのは、徐々にではなく、突然感じるようになりました。
それは不可思議な感覚で、本来の意味で、感覚器官が一つ増えたような感触でした。 はじめは気の有無、気の大小の量、そして気の質感みたいな感じで広がってきました。
クラスの仲間に聞いてみると、始めから気感があった人や、段々と感じるようになった人がいました。
気を感じるようになるということは、個人に因って千差万別、 個人の分だけ、気の感じ始め方があるのかもしれません。
昔話 参伍
山口修源先生と出会う前の話を少しだけ
当時は、そこで教室を開催していました。 恐縮して入ると既に教室は始まって、準備運動(予備功)をしていました。
この時がユニバースとの出遭いでしたが、びっくりしました。
教室を教えている講師がとびきり爽やかな方でした。 自分に無いものはまさにこれ!という感じでした。
姿かたちがそうであるばかりではなく、雰囲気なんです。
なんとも伝えにくいのですが、爽快感があるのです。
騙されるものかと疑心暗鬼でいた気持ちが一遍で吹き飛んでしまいました。