山口修源先生 有難う御座います

山口修源先生に教えを受けて30年、日々の感謝の憶いを綴ります

昔話 壱

山口修源先生と出会う前の話を少しだけ

30歳を少し超えた頃、一見充実した生活を送っていました。週末は車やバイクで箱根詣に出かけて、楽しく思っていました。
しかし、そんな生活の中にもどこか寂寥感が漂っていました。

首都高芝公園でオーバーサイズのピストンリングを入れたエンジンがロックしてしまったバイクを押しながら、背広姿が行き交う大手町の街を歩くとき、ふと疑問が浮かび上がりました。このまま、一見平穏な生活を消費していくのか。

学生時代、同級生たちは「インプラントは儲かる」と喜んでいましたが、私は「だから何?」と拗ねていました。
しかし、それは単に自分の劣等感と意欲の欠如を示すもので、問題は自分自身にあると気づかないでいました。

下宿先の近所にあった先輩の実家の歯科医院、父親の老医師から「歯医者なんて、いいことなんて一つもない。毎日がつらいだけだ。やめときなさい」という言葉を耳にしました。息子さん、立派に学校でライター(指導医)しているのに、これが実情なのかと思いました。

しかし、いまだに自分がしっかりとした開業医になれる気がしていませんでした。自由が奪われるのが苦手で、それが父に似ているのかもしれません。

見えない何かに悩みながらも、人生の違和感に直面していました。そして、自分は「モラトリアム人間」かもしれないと思っていました。
小此木啓吾さんのシリーズ本はほぼ読み終えましたが、自己のアイデンティティがまだ確立できていない。

友人には「あなたにはプロ意識がないのよ、アマチュアなのよ、結局のところ」と指摘されました。
それこそが、自分の置かれていた状況を如実に示していたのかもしれません。