山口修源先生 有難う御座います

山口修源先生に教えを受けて30年、日々の感謝の憶いを綴ります

昔話 弐拾

 山口修源先生と出会う前の話を少しだけ

どうなっているんだろうか、当時から好奇心は旺盛でしたから色々のところ覗いていました。 私は図に乗るタイプなので、その観察癖に拍車がかかりました。 母からは機械をすぐに分解すると不評でした。元に戻せなくなるのが常でしたから…

先生から褒めて頂いた「よく観察する」は、今でも私の性分としてが大切にしているところです。

ある教師は、自分の為に「君が代」の伴奏をすることを拒否してなお、処分に不満があると提訴しますが、当時の先生方は、自分の事情を優先させるなんてことは微塵も感じさせませんでした。ただ、子供に愛情をかけ、成長を願っていました。 子供をよく観ていて、悪いことをしたら叱る、良いところは褒める。 けんこは痛かったけども、愛情ある無私のげんこだからこそ、自分が悪かったと自覚させてもらえる痛みでした。

先生の卒業時の子供たちへ餞の言葉が「人の鑑となってください」でした。 その願いに適うことは…ですが、M先生から受けた愛情は、なんらかの形で社会に還元したいと思っています。

先生に私の「観察する姿勢」を伸ばして頂けたからこそ、今の私がありました。 「人の鑑」などと、ユニバースの山口修源先生に出会うことがなければ、欲深い私は、考えることもなかったと思います。

今は「人の鑑」というより、自分を修養し、少しでも人として向上したいと思っています。 人生の目的や価値、「智慧と愛と義の獲得」(『仏陀出現のメカニズム』)について思いを及ばすとは、私にとってはまさかの出来事でした。 ユニバースの人間改造講座・気功・実現道等々の御指導は、私にとっては、「観ること」が知恵や愛情と繋がった、30歳の「コペルニクス的転回」でした。